象徴は多くは必要ない

2011.11.11

彼女らの大切に保存しているオウチの写真が、彼女らのイメージを伝達する資料として、大工のオヤジに手渡される。「玄関はこんな感じのやつがよくて、屋根の感じはこんな風、インテリアの感じはこれが好きだけど、これは少しやりすぎって感じもあるから、もう少しおとなしく……」彼女らのイメージはこのように数々の断片として伝達される。そのそれぞれの断片が、大工のオヤジさんが通常住宅をまとめるのに用いているシンタックスの中に投げ込まれる。

西大井の賃貸・部屋探し情報一覧
>> ホームページ
JR東海道本線(大磯)の中古一戸建て一覧
>> ホームページ
布施の賃貸・部屋探し情報一覧
>> ホームページ
都営三田線(春日)の新築マンション一覧
>> ホームページ
JR京浜東北線(王子)の新築マンション一覧
>> ホームページ

結果は当然、著しく断片的であり、かつ断片と断片は、数々の不協和音を発している。形態と空間を決定する際のプロセスが、ペンション派住宅を支配する断片的性格の原因となるわけである。ただしこれが原因のすべてというわけではない。ペンション派住宅の断片的性格の裏には、日本独自の文脈依存的、場所中心的な象徴作用がある。文脈依存的な象徴作用の場においては、単一のシンタックスがすべてのエレメントを統御している必要はない。例えば「アルプスの山小屋」という一つのシンタックスが、すべてのエレメントを統御することは、日本のように文脈依存的・象徴作用が支配的な場においては「やりすぎ」で「しつこい」そして「くどい」という印象を与える。断片が一つ挿入されるだけで、それは象徴として充分なのである。アルプス風の花台が一つついているだけで充分なのである。